これはもうおそいよーww
そう~今年もあと2日となりました。
年末
といっても、いつもなら
いろんなことができてなくて(特に掃除面)
年賀状をやっと仕上げて投函、その後
「ぜんぜん時間が足りなーーい」
っと一人で焦っている時期なんですが
今年は特に焦ることもなく~~(^▽^)/
一家の主婦じゃないって気持ちが楽だ~~~ww
さて、今日は 新年早々解体作業に入る実家の家を
ちょっと思い出とともにその姿をここに残しておこうと思います。
年明け 1月16日から 実家の解体が始まります。
父が亡くなって1年。
母は存命ですが施設から実家に戻ることはないので
父が施設に入った5年前から空き家になっています。
家って人が住まないとどんどん傷んでいくものなんですね~
今全国的に こういう空家が問題になっています。
おそらく、1930年代前後の親を持つ方の多くは
こんな悩みや難題に直面していると思うんですよね。
夏は雑草が腰の高さまで生い茂り
荒れ果てた感MAXの空家は見た目だけではなく近所迷惑でもあります。
シルバー人材に依頼したり、除草剤を自分たちでまいたり~を
父が施設に入って以降4,5年続けましたが
このまま残してもどうしようもないので
今年の初めに解体することを決めました。
それで、この1年妹と実家の遺品整理
=残しておくものと処分するものに分ける作業をしてきました。
といっても、
夏場は暑さで2人ともほとんど実働不能でしたが(T_T)
まだまだ時間はあると思っていたのに、
気づけばもうすぐ生まれ育った家がなくなる日が来ます。
解体が現実的になってくると 妙にしみじみするものですね。
そんなわけで、築55年の古家でゴミ屋敷の汚い画像を貼りながら
少ない記憶容量ではありますが、思い出してみようと思います。
===以下、きれいな画像はひとつもありません===
今どきは、古家をリフォームするという方法もあるのですが
実家の場合リフォームではなく解体を選んだのには理由があります。
下の雑い絵は 20年くらい前の実家の建物の位置です。
今回壊すのは斜線のところの家と北側の温室と納屋
斜線の部分のコの字が家の玄関でした。
茶色の線は道路ですが
とても道幅が狭く軽自動車でもかなりきびしいです。
現在の状況はちょっと違っていて
南側の少し広い(でも一方通行)道のほうから出入りできる土地がふえました。
緑の●は、井戸です。
奥に見える青い屋根の平屋が解体する家(の勝手口)です。
この場所ができてからは 勝手口が玄関のようになっていましたが
絵を見るとわかるように、この南側を入口にするなら
入口にフタをしているこの家を壊さないと奥に車を置けないんです。
大量のプランターやら植木鉢があります(;^_^A
この駐車場の入り口にゆずの木があって、肥料も手入れもなしで
今たくさん実を付けています。
昔は裏庭だったわけで、大きいミカンの木と柿の木もありました。
子どもの頃は 怒られて
その柿の木に縛られたことも何度もありましたw
今残っているのは父が大事にしていた「しらぬい」だけですが~
この木も、取り壊すとき重機が入ってくる邪魔になるので
たぶん切ることになると思います(T_T)
元の玄関側(北側)
左後ろに見えるのが、解体せず残す部分です。
手前が昭和40年代に建てたもの
奥の二階建てが昭和50年代
2つは廊下でつながっています。
なので、切り離して塞ぐことになっています。
問題の井戸
井戸を埋めるときは井戸祓いをしなければいけません。
●裏の井戸
●表の井戸
この井戸のことはまた別で書くことにして~
表の井戸と、温室です。奥のほうの家もずいぶん前から無人の空家。
このあたりは、新興住宅街ではなく、江戸時代、もっと前かも?
伊勢の台所と呼ばれた地域で 車のない=荷車の時代?
細い道の両側にびっしり家が建っている いわゆる昔ながらの街並みなので
高齢化がすすみ、古い木造の空き家が多いです。
温室では私が子どもの頃から父が洋ランを作っていました。
有名どころだとカトレアとかシンビジュウムとか~
とにかく多種いっぱいありました。
温室の奥にはまた小屋があって、エビネという
日本各地の山にある山草のような蘭で
洋ランほど温度管理は必要ない蘭です。
私が多趣味なのは父親に似たんだと思いますが
父のほうがずっと極めた多趣味w
大量の蘭の鉢は、父が施設に入る時に
農業高校に引き取ってもらいました。
この温室は二代目で子どもの頃の温室は木製だった気がします。
そこには大きいバナナの木がありました。
今は何もない温室に、プミラが一面にはびこっています。
ガラスを割って外にも出てきています。
プミラってすごく強いんですね~
温室の周りには ちょうど今の時期水仙がいっぱい咲き始めています。
見た目は悪いですがとても素晴らしい香りがします。
プミラも水仙も、、根こそぎ掘りかえされ潰されると思うと
悲しいです。 残したい気持ちはありますが・・・・
毎日この場に来ることができないので タイミングがわかりません。
家の玄関の前にはカーポートがあって
車は狭い道の袋小路をバックでいれていました。
子どもの頃は車なんてなかったので
このカーポートの場所は 巨峰のぶどう棚でした。
父がせっせと袋をかぶせていましたが
そのころからすでに私はフルートが好きではなかったので
巨峰は食べませんでしたw
レモンの木、酸っぱいなつみかんの木、ミカンの木も3本ありました。
考えたら柑橘ばかりですねw
奥に見えるのが納屋です。(ドアが開いています)
このドアの前には、大きな海紅豆(カイコウズ)の木がありました。
トゲがあって真っ赤な花がいっぱい咲いていました。
海紅豆カイコウズ=アメリカデイゴの木は、たぶん沖縄の県花?
60年前の当時このあたりではとても珍しい木だったようです。
納屋は 農業などやってないただのサラリーマンの家の納屋としては
かなり大きい~ 1LDKのアパートくらいはあります。
長いこと入ったことなかったですが
先日中を覗いたときは、えらいことになっていました(T_T)
梯子を上った2階??もあって、そこにも大量の父作の陶器が・・・
壁一面にも、農機具や なぜか大小脚立が5個以上(T_T)が
所狭しと引っ掛けられています。
新品のもあるのですが、私では手が届かない高さ・・・
ロフト?2階?面積も
増える作品?のために自分で建て増ししていった感じです。
ちなみに(最近電源を切った)冷蔵庫もあるし、電話機も・・・・
母が施設に入って 独り暮らしになった父は
1日の大半をこの納屋で過ごしてました。
大きいガスボンベ
中身が入った灯油缶10缶以上・・・・
陶芸用の土や粘土????
それと、父が作った大量の作品・・・・・
大量の電動工具・・・・・
そういえば、、、陶芸熱の過熱で?
この納屋の前に、自分で 「ガス窯用小屋」を作っていました。
たぶん、高かっただろう大きい陶芸の窯です(T_T)
右に少し見えている三角屋根がそれです。
解体業者の人には、「こ、これは・・・サウナ室ですか?」
と言われました(/–)/
陶芸が人生の最後の趣味で
その前は 彫刻?一刀彫り。
始めたのは私が高校生の時だったので、
それも40年くらいは続けていた計算です。
温室の蘭はその前からだったし 洋ランだけじゃなく
バラや菊、チューリップ その時々で大量に育てていました。
もっと若いころは ボーリングに凝ってマイボールまで持っていたし
写真に凝っていた時は、暗室作って自分で現像していました・・・
ローラースケート、バイク 木工 日曜大工
あと蔵書もたくさんあって妙な小説家っぽいこともやっていたし・・・
仕事柄 廃棄される電化製品を拾ってきて(もらってきて)
自分で直して再利用していました。
お金はなかったけど、昭和40年代に
各部屋にテレビ(家族の人数より多く)もあったし
ビデオデッキは 1台のテレビに何台もつながれてたり
冷蔵庫も2台 洗濯機も2台
1台はコインランドリー用でお金の投入口がついていましたww
そういえば~書き忘れていましたが、漁船も持っていて
日曜漁師の釣りキチでした。
鉛を溶かして自分で重りも作っていました・・・・(;´ДA
私が学生の頃は よく魚拓作りをさせられました(/–)/
定年まで平社員で 趣味に生きた父でした。
悪く言えば 家族よりも自分の趣味優先って感じでしたねw
良く言えば 個人主義 自由でした。
私もそうですが・・・・趣味が多い つまり
荷物がいっぱいある!!
父作の、木彫り~~前回書いた仏像もそうですが
もっと大きい 一人で持てない大きさのものもあるし
陶芸作品にいたっては、数えきれないくらい・・・
壺や茶わんなどの普段の食器が大量に・・・・
残しておくものは、こんな風に赤い養生テープを付けて
業者の人に運んでもらう予定です。
家の中にあるものだけでも大量なのに、納屋にはもっとあります。。。
←ダイニングキッチン
捨てるには忍びないけど、、、さすがに無理な量です(T_T)
取捨選択で 捨てるものはざっくり分類してとりあえずゴミ袋に。
残すものは、
台車に積んで廊下伝いに残すほうの家に運んでいますが
重いものや大きいものなどは体力的に無理なので
業者さんに運んでもらうため赤い養生テープを目印につけています。
残すほうの家の押入れにも大量の衣類と布団が・・・・;
逆にそれらは 運び出して処分してもらい
空いた押入れに 棚などを付けて残す荷物を収納する予定です
ホント汚い画像ばかりで申し訳ないです。
が、この手の話ではありがちな図ではないかと思います(>_<)
解体作業が入るまで、あと2回しか行けません。
その中には井戸祓いの予定もあるし、、
取捨選択作業はたぶん予定の半分程度・・・・
生きているうちに、話せるうちに
もっと聞いておけばよかった。
どうしてほしいか、、どれが大事だったか、、、、
時すでに遅し。
高齢の親をお持ちの方は
相続のことなど話しにくいこともあると思いますが
ぜひ、先のことを聞いておいたほうがいいです。
どうしてほしいのか、
どうしたら正解なのか
子どもが考えないといけないのは大変なことだと思うので。